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鳶職伝統

鳶職の歴史

鳶職と呼ばれるようになったのは江戸時代以降と言われています。
それ以前には様々な説があり飛鳥時代には右官・左官という名称で業種に分けて右官・左官と呼ばれていた説などがあります。

「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉が残るほど江戸時代には火事が多発していました。そしてその多発した火事の火消しに当たったのが鳶職の職人でした。
当時は現在のように消防設備や消防網などが十分に発達していない為、水などで火を消すことが不可能で破壊消防と言われる方法がとられていました。
この破壊消防はその字の通り延焼方向の家屋を予め解体して燃え広がるのを防止する方法だった為、家屋構造を熟知し掛矢や鳶口などの道具の扱いに習熟して素早い家屋解体が可能だった鳶職人が行ったのです。

梯子乗り

もともと鳶職人は、梯子を使用して作業を行っていました。また、彼らは高所で危険な作業をするため常に機敏さと慎重さ、そして勇敢さが要求される。火消の仕事もまた同じことが求められます。こうしたことから鳶であり、かつ、火消でもある彼等は、そのための訓練として梯子を採り入れたといわれています。

そして現在では、正月に行われる消防出初式や地域の祭りなどの場で演技を披露しています。

また、梯子は火災現場確認のための櫓の役目、人命救助の器材としての役目もあり彼等はその為に毎日血のにじむような訓練を積んできたのです。

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纏振り

纏のルーツは15世紀ごろと云われ、戦場で侍大将の馬印でしたが、これを町火消誕生後に組の旗印として取り入れ、纒のぼりと言いました。その後現在見られるような形の纒になったと言われています。

火消しの中で最も名誉ある纏持ちが揮う纏振りで団員達の指揮は高められ、業火の中でも火消しの作業にあたることが出来たのです。

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木遣り歌

木遣りは元来が作業唄で、複数の人員で仕事をする時、その力を一つにまとめるための掛け声、合図として唄われたものであります。また、木遣りには2種類があり、一つは材木等の重量物を移動するときに唄われる木引き木遣りであり、もう一つは土地を突き固めるいわゆる地形の際に唄われる木遣りとがあります。

鳶の木遣りはこのうち二つ目の地形木遣りの範疇に属します。現代では作業そのものが動力化し、人力に頼ることも少なくなりこれにつれて木遣りも作業唄から離れて儀式化し、また一部俗謡化するなど聴かせるための木遣りへと変貌していきました。

このように鳶木遣りはそれ自体鳶職人の唄として生まれたものですが、町火消が鳶職人を中心に編成されたため木遣りも自然のうちに町火消の中に溶け込み、受け継がれていったといわれています。曲は真鶴のほか、地・くさり物・追掛け物・手休め物・流れ物・端物・大間など8種110曲があります。

木遣歌は、昭和31(1956)年、「郷土芸能のうち民謡に属し、芸能上特色を有するもの」として、東京都の無形文化財に指定されました。

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